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BLOG ブログ…のようなもの

人生で最も悩んだ瞬間(とき)・・前編

医師になって2年くらいが過ぎ、岩手県盛岡市で勤務医をしていた時、「副院長先生(整形外科)がお呼びです。」と言われ、呼ばれる理由がわからず困惑した。

普段、あいさつ程度はするが、特に接点はない。

“いったい何の用だろう。あれだろうか、これだろうか・・何かマズイことしちゃって怒られるのかな?”・・なんだか訳がわからないまま、副院長室へ行った。

 

副院長「長利先生はプロレスが好きだ、って聞いたのですが、本当ですか?」

私「ええ、まあ。(・・って、いうか何で知ってるんだ?)」・・注1

副院長「知り合いから、プロレスのリングドクターをやってくれないか、と頼まれたのだけど、私全然詳しくなくて、医局で聞いたら、長利先生の名前が出てきたんですよ。先生にリングドクターをお願いしたいのだけど、よろしいですか?」

私「(怒られるのじゃなかった・・)ところで、新日本ですか?全日本ですか?」

副院長「よくわからないけど、猪木の方です。」

私「(よっしゃー!ダーッ!!)ぜひ、ぜひ、やらせてください!」・・注2

そんな訳で、新日本プロレスのリングドクターを岩手県盛岡市でやった事がある。

10月ころの話で、それが1回目だった。

リングサイドに席をもうけてもらって、何だか上の空で終わったような記憶がある。

 

それから半年以上が経ち、再び四角いジャングルの脇に私は座った。2度目は落ち着いて観戦し、(選手の控え室には入らなかったが)廊下で待っている時には、若手だった船木誠勝(ふなき まさかつ)選手(弘前大学附属中学校卒業)と「私は大鰐町出身なんだ」とか言って談笑した記憶がある。

当時、新日本プロレスの公式リングドクターをしていたF先生から「試合が終わったら、いっしょに食事に行きましょう。誰かレスラーも連れていきますよ。」と言われ、その夜、盛岡市でF先生とK選手(:注3)と3人で寿司を食べる・・という前代未聞の経験をしたのであった。

~後編へ続く・・

→ちなみに後編はマダ全く書いていないので、半年か1年後になるかもしれない

 

注1・・大学生の時、弘前市「雪灯籠まつり」のイベントで遊びとして「雪上ラグビー(7人制)」をしたことがある。私はスクラム・ハーフと言って、3人ずつ組んだスクラムへボールを入れる・・というポジションだった。サインをどうするか?ということになったので、新日本プロレス関係だったらキック、全日本プロレス関係だったらボールを回す、ということにした。使用例を以下に示す。

「卍固め235」「タイガーマスク36」「ウエスタン・ラリアット560」(当時スタン・ハンセンは新日)→キック

「16文キック32」「ザ・ファンクス973」→ボールを回す

もちろん後ろの数字は関係ない=フェイクである。

たまに、サインがばれないように、「新日本プロレス25」と私が言うと、別の人間が「新日本プロレスのいくつですか?」とわざと聞いたり、後ろの数字を大きな声で強調して言うことで、後ろの数字に意味があるように見せかけた。

チーム全員サインがわかる・・というのは、今考えてもヤバいメンバーだった。

 

注2・・今だから言えるが、当時20代の私は、全日本プロレスだったら、ことわっていたと思う。それほどガチガチのストロング・スタイルの新日本プロレス派だったのである。今の自分なら、もちろんジャイアント馬場さんのために、喜んでやらせていただきたい。実は、ナマの馬場さんを私は見たことがない。アンドレ(※)なら、2回見た・・もちろん、2階席からの観戦で、1階席の客が試合後にアンドレに追われて右往左往するのを喜んで見物していた。・・アンドレが出場する時は、2階席で見るのが“玄人”である。自分が逃げ回って楽しみたいなら、1階席で。

※宝塚で“アンドレ”と言えば「ベルサイユのばら」だろうが、私にとっての“アンドレ”は、アンドレ・ザ・ジャイアントただ一人である。

 

注3・・新日本プロレスの旗揚げ時より所属していた中堅選手。藤波辰巳(当時)選手や長州力選手のずっと先輩。ちなみに頭髪はしっかり生えている方です。